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東京高等裁判所 昭和26年(う)495号 判決

控訴人 被告人 斎藤福太郎の原審弁護人 高林茂男

被告人阿部儀三郎の原審弁護人 柴田次郎

検察官 吉井武夫関与

主文

本件各控訴はいずれもこれを棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は被告人阿部儀三郎弁護人柴田次郎において控訴の趣意第七点は撤回すると述べたほか、末尾に添えた各書面記載のとおりであつて、これ等各趣意に対し、順次左のとおり判断する。

被告人阿部儀三郎弁護人柴田次郎控訴趣意第三点について。

しかし、ある者が同人に対する甲という犯罪事実を内容とする被疑事件で勾留されているうちに捜査が進められた結果、勾留の基礎となつた甲という被疑事実はその嫌疑がなくなつたが、これと事実の同一性に変更がない乙という被疑事実に対し嫌疑が充分となつた為、甲の罪名で勾留されている侭、乙という被疑事件についての同人の供述調書が作成せられ、ついで、乙という罪名で公訴が提起されて公判が開廷された場合、検察官が公判廷において、右供述調書を証拠としてその取調を請求すること及び裁判所が法定の制限の下にこれを取り調べた上、証拠とすることは刑事訴訟法や刑事訴訟規則の禁止するところではないから、かかる証拠の取調の請求は検察官において自由にこれを為しうるのみならず、裁判所も亦刑事訴訟法及び刑事訴訟規則の定めるところに従つて、その証拠調を為し、これを証拠に採用することができるものと解すべきである。若し、然らずして、甲の罪名で勾留中の被疑者に対してはこれと事実の同一性に変更を来たさない乙の事実についての取調をすることができないこととすると、乙の事実に対する捜査はこれが為不当に制限を受け、これによつて国家刑罰権の実現は不可能となるやも計り難い事態を発生し、ひいては国家治安の確保に重大な支障を及ぼすこととなるのであつて、かかる見地から考察するも所論の理由なきことは明白である。ところで本件は被疑者が詐欺罪の嫌疑で逮捕されて取調を受けているうち、その嫌疑がなくなり、詐欺罪として捜査が進められていた事実が詐欺罪ではなく、賭博場開張罪であつたことが判明したという場合であつて、詐欺罪というも、賭博場開張罪というも、もともと一つの事実を互に別個の立場から観察した帰結にすぎないのであることは記録上明らかであり、随つて、検察官において、詐欺罪の嫌疑で逮捕された被告人を取り調べた結果、その嫌疑がなくなつた為、さきに詐欺罪について発せられた令状が失効していないところから、これを利用して被告人に対する勾留を継続しながら、右詐欺罪と全く関連がない賭博場開張罪について取調を行つた場合ではないのであるから、本件起訴前の手続には何等所論の違法はない。されば、原判決が所論被告人阿部儀三郎に対する司法警察員の各供述調書を証拠として採用したことはもとより相当である。論旨は理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 下村三郎 判事 高野重秋 判事 久永正勝)

弁護人柴田次郎の控訴趣意

第三点原審判決が昭和二十四年九月三十日附同年十月一日附及同年十月七日附被告人阿部儀三郎の司法警察員に対する各供述調書の記載を証拠に引用したことは違法である。何となれば

(イ)同被告人は当時詐欺被疑事件に関する逮捕状(記録第七八丁)及勾留状(同第八二丁)の下に身柄を拘束されて居たが右は嫌疑なしとして起訴せられなかつたことは原審第六回公判における証人小林為水(記録第一四五丁以下)の証言中「詐欺の証拠がありませんので賭博として捜査を進めたのであります云々」によつても明かである。即ち右逮捕は結果からいつて不当の拘束であつた。その不当の拘束の下で然も全然別の事件に付作成された右調書は不当である。被告人阿部は昭和二十四年九月二十九日詐欺罪の逮捕状により逮捕され同年十月一日同罪名の下に勾留(記録第八二丁)せられその侭突然昭和二十四年十月十日賭博開張図利及賭博で起訴せられた。

一体刑事訴訟法第二百三条に「司法警察員は逮捕状により被疑者を逮捕したとき又は逮捕状により逮捕された被疑者を受け取つたときは、直ちに犯罪事実の要旨及び弁護人を選任することができる旨を告げた上弁解の機会を与え云々」と規定しているのは被疑者に対して弁解の焦点を誤らしめない考慮であるのにことさらに他を聞いて不用意の供述を逆用することは法の精神に反するものである。不用意の言葉も時として却つて事実に添うこともあり得るが我が刑事訴訟法の立場は被疑者の権利擁護の上から注意の散漫によるケヤレスミステークが本人に与へる不利を避けんとする方面により重点を置いて規定されているのである。本件に於て右供述調書が証拠として断罪の資料に供されたとすれば正に被告人は充分に弁解の焦点を意識せずに又その機会を与へられぬままに不意打を喰つたことになる。最終の昭和二十四年十月七日附供述調書ですら冒頭に賭博被疑事件に付取調べられたとは思つてゐなかつたことは明かである。

(ロ)被告人阿部は警察で右昭和二十四年十月七日附供述調書を作成されるとき訂正を申立てたのであるが之が不問に附されて居る。原審第六回公判に於ける被告人阿部の供述によれば「寺銭のことについては私が反対したのでありますが篠原刑事が折角書いて仕舞つたのだからとのことでその侭にしたのであります」とあり又原審第十三回公判に於ける被告人阿部の供述(記録第三一八丁以下)によれば「私は警察で調書の訂正の申出をしたのでありますが罰金丈だからとの事で其の侭にしておきました。又検察庁では略式で罰金が高いがよいかとの事で私も承知したのです云々」とあり尚原審第十四回公判に於ける証人阿部サキの証言も之を裏付けるものである。即ち「問、証人の家へ寿警察署の人が来たことがあるか。答、あります。問、何時誰が来たのか。答、昨年の十二月及本年の一月頃に二回位来ました。初めは川村さんと鶴岡さん、それに篠原さんの三人で来て其の時は篠原さんともう一人どなたかが来たと思います。問、証人はその時どんな話が誰と交されたか聞いているか。答、良く記憶がありませんが家の人と篠原さんが話して居りまして私がお茶を持つて行つた時に「阿部さんを調べた時に書かないでくれと云う事を書いて迷惑かけた」と云う事を篠原さんが云つて居りましたと述べている。これは前に証人篠原盛治が訂正申出はなかつたと証言したことに対する反証としてなされた証言であり若し不実であるならば何れかが偽証の罪に服さなければならないのであるから右証人阿部サキはその危険があるのに敢然と証言したのである。然も警察官が自己の取調べた事件の起訴後に犯人宅を訪問することも異例のことであるから余程複雑な問題を残して居ることが推察され、阿部サキがこの様なことを偽証することは容易に考へられない。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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